ゴールデンレトリバー撫でたい

https://sites.google.com/view/shorttwist/home

ガルラジにおける二人称視点の再考と、異世界通信作品としての『拡張少女系トライナリー』の完成度の高さについて

1. どうしても納得いかないのでガルラジにおける二人称をもう一度考える

 前回(前々回)の記事で、私は「ラジオはパーソナリティとリスナーの距離が近く感じる」という、現象というかラジオリスナーの感想みたいなものを、「三人称視点じゃなくて二人称だからだ」という線から説明しようとしました。が、ダメでした。しょうがないのでしぶしぶ録画された映像と録音された音の違いを書いておきましたが、くやしいのでその後も延々と考えていました。

livedoor.hatenadiary.com

 二人称って目のつけどころは悪くない気がするんだけどな~と思いつつ、どうしても着地点が見出だせなかったので、公開後に頂いた知見をもとにもう一度ず~っと考え直してようやくまとまってきました、たぶん今度はいけます。

 …で、軽い気持ちで書き始めたら9000字かかりました…

 書いた後で気付いたけどなんで長くなったかって思い返したら、比較対象に持ち出したトライナリーの完成度の高さに気付いたからだな~ってなったのでタイトル変更しました。前から何か文章書きたかったのでせめてこれにて。

テクトラ! - Yumemille feuille guruRemiX. -

テクトラ! - Yumemille feuille guruRemiX. -

  • TRINARY
  • アニメ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

1.1. 三人称視点と観客への語りかけ

 基本から考え直します。まず、三人称の作品において二人称視点は忌避されますカメラ目線や、観客に話しかけるような場合です。これを意識的に行っている作家としてゴダールとかもいますが、「映画という形式の前提になっている三人称的物語世界の破壊を見せようとしている」のは間違いないです。
 つまり、カメラ目線や観客への語りかけを行った時点で、その作品の基本性格から三人称視点は「排他的に」、言い換えれば「消極的な理由で」除外されます
 よって、ガルラジは消極的排他的な理由により、少なくとも三人称視点の作品ではありません

 

1.2. 虚構連絡的な形式は観客への語りかけを許容する

 前回の記事でこういうことを書きました。

  ガルラジの世界にはマイクがあることがわかりました。そして、そのマイクで収録された音を我々が聴く権利があることもわかっています。

 言ってみればガルラジは、キャラクター自身がカメラ持って撮影するような作品(鳩羽つぐちゃんの動画とか)の、カメラをマイクに差し替えた作品だったわけです。

ガルラジにおける視点、時間、超越性について - 除雪日記(1.2.4 余談:ガルラジのロケ回と公開録音)

  僕がガルラジの特異性を生み出している最も重要な要素だと思っているものです。つまり、虚構の世界内に実在するマイクがある
 これは当エントリの大前提にもなっているもので、もしこれが間違っていた場合このエントリも一緒に破綻するんですが、非常に長い説明を要します。そのために前回アホみたいな文字数を費やしたのでなんとか #1 の部分だけでいいので読んでほしい。5000字くらいです。

ガルラジにおける視点、時間、超越性について - 除雪日記(#1-虚構から届く電波)

 できるだけ手早く書くと、

・通常の三人称視点の作品は、登場人物の目に見えず手に触れられない実体すらないカメラで撮影されている。もっと言えばカメラは虚構世界内に実在しない。実体を持ったカメラは、映画の撮影現場のような虚構の世界のいわゆる「メタ的」な次元にしか存在しない。 

・しかし、ガルラジは違う。ガルラジの世界にはラジオブースにキャラクターの目に見えて手で触れる実体を持ったマイクがあり、それでラジオを収録している。そして、比喩的に言えば、虚構の世界と我々の住む現実の世界は電波で繋がっている。私たちはガルラジ世界内で収録されたラジオ番組「そのもの」を聴くことができる。

・虚構の世界内に実体のある収録機器があることは、我々が虚構世界内に存在するラジオ番組「そのもの」を聴く条件になっている。この前提がない場合、いわば実体のない無色透明のマイクで虚構世界内の音を録音した場合、それは通常のボイスドラマと呼ばれるものになる。

・この事態は「虚構世界内のマイク」を「虚構世界内のカメラ」に置き換えるとわかりやすくなる。いわゆる「キャラクター自身がカメラを持って撮影したり、自撮りしたりするような作品」のこと。例えば鳩羽つぐちゃんのこのような動画(『Morning Routine』)。

www.youtube.com

 この動画では、「つぐちゃんが自分で自撮りした映像そのもの」を、我々は「直接」視聴することができている。

 ここではこの形式を、「虚構連絡的な形式」と呼ぶことにします。つまり、虚構の世界内に実体のあるカメラがマイクのような記録機器があり、それによって記録された映像や音声が、なんらかのメディアを通して、現実世界の鑑賞者が直接見たり聞いたりすることができる、という形をとっているフィクションの作品です。用語としては厳密さもへちまもありませんが、私がしたいのはガルラジの話なので雰囲気で直観的に伝わってください。あとネーミングセンスがダサいのも許してください。

 そして、この形式は重要な特徴を持っています。それは、通常の三人称視点的な作品と違い、虚構連絡的な作品は、その形式上の性格として、二人称的な視点を許容するということです。これは上に貼ったつぐちゃんの動画を見ればすぐわかってもらえると思います。最後カメラ目線で話しかけられますよね。

 

1.2.1. 二人称視点の作品を作ると(たぶん)必ず虚構連絡的な作品になる

 ここからは僕の推測ですが、実際のクリエイターの方々から観点だと、この関係は往々にして逆になっているんじゃないか、という気がします。要するに、キャラクターが画面の向こうから視聴者に向かって話しかけるには、必ず虚構世界内に実体を持ったカメラやマイクが必要になる、ということです。つまり、「キャラクターが見ている人に向かって話しかける」というそれなりに普通にありそうなアイディアから出発すると、「虚構の世界内に実体のあるカメラ」という条件が出てくる。かなり感覚的でただの推測ですが。

 

1.3. 虚構連絡的な形式と二人称視点の組み合わせを列挙して考える 

 ここからガルラジをどう考えていけばいいでしょうか。
 こういう時にまず取るべき手段は、形式の組み合わせと、あてはまる作品を列挙してみることです。

①虚構連絡的な作品で、二人称視点である
 →後述する『拡張少女系トライナリー』が完璧に一致します。あとやはりガルラジも直感としてはこれにしか思えない。

②虚構連絡的な作品で、二人称視点ではない
 →主人公以外にカメラマンや記録係が虚構世界内に実在し、その人が主役を撮っている。
 つぐちゃんの動画でこういうのあった気がするんですが見つかりませんでした。上に貼った「Morning Routine」のカメラを持っている人物がいるバージョンを想定してください。

虚構連絡的ではなく、二人称視点である
 →これ無理じゃない?ゴダールみたいな物語世界の破壊そのものを見せるんでもないと。
 と、思ってたんですが、ありました。シチュエーションボイスです。

 

1.4. シチュエーションボイス、そして厳密な二人称の限界

 前回の記事を書いた後、ツイッターで「完全な二人称」って無理じゃない?ってつぶやいたところ、フォロワーから知見を頂きました。

 シチュエーションボイス。その手があったか。僕もふんわりした知識しかなかったのでネットにあるのから適当なのを探してきました。あまりにも18禁かそうでなくてもエッチなのが多すぎて穏当なのがなかなか見つからなかった。

www.youtube.com

 うん、二人称以外の何物でもないなめっちゃ語りかけられてるし
 できてんじゃん、二人称。終わり。と思ったけど、やっぱりガルラジとは何かが違います。

 なんでか。メディアを通していないからです
 つまり、シチュエーションボイスでは、虚構世界内の「目の前」や「すぐ隣」にいるキャラクターの声を、虚構世界内ですぐ近くにいる人間の目と耳で知覚する状況を再現しています。これはガルラジが「ラジオという媒体」を通した声を聞いているのと大きな違いです。

 この項目もしばらくいろんな音源聴いて考えたんですが、実際普通に二人称の作品やるならこれで困らないって言っていいんじゃないかと思います。というか「二人称の作品が見たい!!!」って思って添い寝音声とか囁き音声に手出す奴とかいるわけないだろ。わざわざ探して聴く奴がんな細かいこと気にするわけがない。
 そういうわけで、以下はどっちが優れててダメという話より、ガルラジとの比較対照です。

  そして、これは前回ガルラジ運営にやられたんですが、ダミーヘッドマイクという問題があります。これは前回書いた「音が鳴っているところと音を録音する場所の距離の保存」に関係します。つまり、シチュエーションボイスの虚構世界内で話しかけられる「誰か」と、鑑賞者の位置を一致させられるのではないか。

 

1.4.1. シチュエーションボイスの虚構世界内で話しかけられる誰かと、シチュエーションボイスを聴く鑑賞者は絶対に一致しない

 いきなりちゃぶ台返しみたいな話になりますが、シチュエーションボイスは結局録音した音です。再生すると生身のキャラクターが眼の前に出現して囁いてくれるわけじゃないです。
 なんでこんな「これはただの絵だ」みたいな出オチみたいな話から始めるかというと、この前の記事書いた時、結局「虚構の世界内で知覚として鳴っている音を、現実のスピーカーやヘッドフォンで再生した音と完全に一致させようとした場合、だいたいいろんな面で無理が起きる」というのがだいたいわかったからです。というか私最初このラインで説明しようとして失敗したので、虚構世界内実在マイクとかいう回りくどい謎の存在を持ち出す羽目になったんです。
 もう一度言っときますが、これは重箱の隅をつつくような話をしているだけで普通に添い寝音声とか聴く時こんなこと気にしている奴いるわけないと思う。俺もVにドハマリしていた頃ASMR配信聴いてたけどこんなことまず気にしなかった。

 そういう前置きでい話を始めますが、シチュエーションボイスは結局「観客(リスナー)に向かって話かけている」わけではなくて、「虚構世界内の無属性で中性的な誰かに話しかけている」のをリスナーが想像力で補ってるだけです。シチュエーションボイスは、虚構世界内で話しかけられている誰かと現実のリスナーの差を、必ずリスナーが想像力で補う必要があります
 あとダミーヘッドマイクで録音した場合でも、あと「ダミーヘッドマイクと完全に空間的な延長が一致する頭の大きさの人」っておそらくいないでしょう。よってきわめて細かい視点で見れば、前回の録音された音に保存される距離の観点からもダメです。

 なんでこういうことになるかと言うと、メディアを通した虚構連絡的な作品ではないからです
 ガルラジの場合は違います。ガルラジのラジオは、ガルラジのラジオが存在するガルラジ虚構世界内でも、デジタルなりアナログなりのデータになっている音です。つまり「虚構世界内で鳴っている知覚的な音」を、「現実の再生機器で再生される音」で再現しているわけではありません。

 また、「リスナー」の観点から言えば、ガルラジのリスナーが虚構世界で占める虚構内の地位は、虚構内で他にいる不特定多数のうちのリスナーの1人です。
 一方、シチュエーションボイスの虚構世界内の聞き手が占めるのは、世界の中の他の誰でもない、キャラクターの目の前やすぐ隣にいる「その人」です。そして、この「その人」と、鑑賞者の人間的な数々の属性の差は、おそらく原理的に一致させることができません。その差を必ず想像力で埋める必要があります。

 別の表現をすれば、シチュエーションボイスであろうと、その声が話されている世界は、映像のように現実世界と「スクリーンによって」隔てられています
 これは逆にシチュエーションの状況が細かく指定されてる方を考えるとよくわかります。「学校で先輩に壁ドンされる音声」とかだったらその学校ってどこだよってなるでしょ。そしてそれを実際に学校で壁ドンされながら聴くわけではないでしょう。

 

1.4.2. 番外:「虚構世界内実在ダミーヘッドマイク」の可能性

 で、これを書いてるうちにあることに気がついてしまいました。この間から言っている通り、ガルラジの虚構世界内には、収録ブースに実在するマイクがあります。これは我々が「ガルラジ世界内のラジオを直接聞ける」という事態のための構造的前提でもありました。

 ということは、このマイクがダミーヘッドマイクであってはいけない理由はありません。そして、ガルラジ世界内のマイクで録音された音源がこちらの世界に持ち込まれる権利があることもわかっている。よって、私たちは、権利上はガルラジの虚構世界でキャラクターによって録音されたASMR音声を、ラジオと同様に「直接」聴けることになります。

 …あれ…じゃあ…この間のニコ生のガールズにゃんにゃんデイズって…

 

1.5. 『拡張少女系トライナリー』の完全な二人称

 前回手早く紹介したガルラジの類縁としてよく挙げられるスマホゲーム、拡張少女系トライナリー』は完全な二人称を実現しています。もうサービス終了したので正確には「実現していました」なのが悲しいところですが

ガルラジにおける視点、時間、超越性について - 除雪日記(2.1.4 拡張少女系トライナリー)

 トライナリーは、三人称的な物語世界の破壊も、シチュエーションボイスのような鑑賞者の属性・状況の問題も完全にクリアできています。つまり、「鑑賞者が、虚構世界内のどのような状況にあり、どのような人間としての属性を持った受け手なのかが規定されている」の問題をクリアしつつ、「完全な二人称」です。
 トライナリーがなぜこの違和感を消しされているかと言うと、①「虚構連絡的な形式を持っている」のに加えて、②「ゲームだから」だと思います。順に説明します。

 

1.5.1. トライナリーの虚構連絡の媒体、スマートフォンとチャットアプリ

 ①「虚構連絡的な形式だから」についてです。最初の方で書いたように、このような虚構連絡的な作品は、作品の虚構世界内に現実と連絡している何かしらの記録機器のような媒体が必要でした。
 トライナリーの世界内に実在する媒体は、スマートフォンとアプリです。アプリにはLINEのようなチャットが組み込まれていて、これによってプレイヤーは画面の向こうのヒロインと「直接」コミュニケーションを取ることができます。

 はい、なんともうここで話が終わりです。
 そもそもスマホのチャットアプリや電話のような通信機器は、現実世界の離れた空間にいる人同士を繋げるためのものです。
 つまり、このような遠隔地を繋ぐための媒体を作品の形式に組み込んだ時点で、虚構世界のキャラクターと現実世界のプレイヤーは空間的に離れていることが確定します
 言い換えれば、スマホが間に挟まる媒体になっているため、キャラクターに話しかけられる「その人」が、フィクション世界内で顔や声が知覚できるほど近くにいないことが確定できるということに繋がっているわけです。
 先ほどのシチュエーションボイスの問題は鑑賞者の「位置」が、虚構世界内の時空間でキャラクターを「知覚できる」位置だったのがダメでした。この点は上記で完全にクリアされています。

 さらに、トライナリーの虚構連絡の手段は文字によるチャットのため、シチュエーションボイスのような虚構世界内の知覚的な現象の「写し」ではありません。というか下手したらガルラジのラジオより「虚構内に存在するそのまま」現実にそのまま現出させられます。

 上に書いたこれ、実は結構面白い事態だと思います。なぜながらこのような形式は、基本的には果てしない深淵によって隔てられている虚構と現実を「繋ぐ」ための役割を果たします。しかし、シチュエーションボイスと比較した場合、虚構内における鑑賞者の位置が「近すぎる」のを「離す」ための性格が強くなっているからです。

 

1.5.2. ゲームという形式は画面の向こうにいる鑑賞者が1人だと確定させる

 ②「ゲームだから」です。これも一瞬で話が終わります。
 ゲーム、特にギャルゲーのようなゲームは基本的に1人でプレイします
 ということは、ゲームという形式の特性上、鑑賞者が絶対に1人だとフィクション側から確定できるということです。
 これによって、キャラクターが画面の向こうから話しかける場合、「不特定の誰か」ではなく、「他の誰でもない特定のあなた」へ話しかけることが可能になります

 また、今回の論点ではありませんが付随する性格として、ゲームはこちらから反応を返せるので双方向性が実現できるというのもあります。
 そして、トライナリーは毎週ストーリーが更新されるリアルタイム性を持った作品でもありました。

  以上のように、トライナリーが「完全な二人称視点」を実現できていることがわかりました。改めて他と比較しながら本当にすごい作品だったんだなってことが理解できてきました。ほんと惜しい…

※追記
いい資料を頂きました 

 

1.6. 「鑑賞者が1人でない場合」の二人称、二人称複数形

 「虚構連絡的でなく二人称」のシチュエーションボイスと、それに対比させる形で「虚構連絡的で二人称」のトライナリーについて書きました。ここからガルラジを考えます。

 トライナリーとガルラジを隔てる壁は、虚構世界のキャラクターの視線が向いている先の鑑賞者が1人か、不特定の多数かの違いです。
 言葉で言えば「あなた」と「あなたたち」「みなさん」の違いです。さて、ここに来て詰まりました。どうすればいいかな… 

 そういえば英語で「あなたたち」「みなさん」って話しかける時って何使うんだ?ヒントになるかどうかすら謎だけどマジに洒落にならん英語力だから普通にわかんないな…検索するか…

あなたたち(あなた達)は、誰か複数人をさすときに使います。
目の前にいる人に対して使うと思います。
老若男女関係なく使う単語です。
(…)
単数(あなた)でも複数(あなたたち)でもyouです。

複数(あなたたちみんな)であることを強調して、all of youやyou allなどと言うこともあります。

カジュアルな場面ではyou guysなどと言うこともありますが、相手には注意が必要です。
 Youじゃん。二人称じゃん。なんで?
 
でも日本語だと「あなた」と「あなたたち」になるし…っていうか「~たち」って文法的にはどうなるんだっけ(義務教育を疎かにした人間の末路)
[代]あなた」の複数形。「あなたがた」よりも、やや敬意が低い。「貴方達も今日から中学生ですね」

貴方達(あなたたち)の意味 - goo国語辞書

(太字強調は筆者)

 あれ?これって人称じゃなくて単数形と複数形の違いか

 もう一度前回の記事を見直します。

 ぶっちゃけ「近い」とつけたように、やっぱり厳密な二人称ではないと思います。だってラジオのリスナーって普通は不特定の多数が想定されていますよね。

ガルラジにおける視点、時間、超越性について - 除雪日記(2.2.1 ラジオという形式と心理的な近さを考える)

 ここが間違ってたんだ。これは視点の人称の違いじゃなくて、単数形と複数形の違いです。結論としては私がアホだっただけっぽいな。
 言ってみればラジオパーソナリティの視点は、話しかける人々が1人が大勢かに関わらず、二人称的な形を取ります

 実際のところこれは文法的な区別であって、現象的・認識的(この表現が適切かもわからない)な区別になるのか?というのも気になりますが、どう考えてもこれ以上進むとこの先には人文学の地獄の3丁目こと言語学の沼が待っているのでやめます。

 これでようやく冒頭に戻れます。
 結論としては、トライナリーとガルラジの違いは、二人称単数形と二人称複数形の違いです

 

1.6.1. 英語の「you」の歴史

 ていうかなんで英語って二人称単数形と複数形が同じなんだ?って思って調べたところ、Yahoo!知恵袋に回答がありました。
 これによると、古い英語では「you」が二人称複数形だったみたいです。その頃には二人称単数形として「thou」という単語があったようですが、歴史を経るごとに「you」に統一されていったようです。

二人称単数複数の区別の消失の理由 - 次は口語訳聖書マタイ6:16-18 です。16... - Yahoo!知恵袋

 Wikipediaの項目もありました。へ~

Thou - Wikipedia

古語的であることを踏まえ、日本語には「汝、そなた(+助詞)」と訳されることが多い。

 

1.6.2. 現実のラジオ

 なんか今更書くのかって感じですが、現実のラジオは虚構連絡的か否かとか考える必要はないです。そして、上の文章が正しければ、普通に生きてる人がラジオパーソナリティをやっているラジオは、二人称複数形です。

 

1.7. ガルラジの視点は二人称複数形である。

 というわけで長々と書いてきましたが、結論が出ました。

 ガルラジの作品形式に備わっている視点は、二人称複数形である。そして、それはガルラジという作品が虚構連絡的な形式を持っていることによって実現されている。

 これでようやく本当の最初に書きたかったことに辿り着きました。ガルラジのキャラクターが近く感じるのは、ラジオという形式が二人称複数形で、それは虚構連絡的な作品だからです。おわり。

 改めて書いたらこの数行のためにこんな9000字費やしたのか…マジで疲れた…近い内に前の怪文書にも追記します。

 

1.8. 関連記事

ガルラジ1stシーズン、岡崎と富士川が最終回を迎えました。 + 前回の怪文書への補足 - 除雪日記(2.2 ガルラジのリスナーとフィクションの鑑賞者の関係の研究)

 このエントリに関連すると思われる観点の、他の方の記事のまとめになります。おそらくナンバユウキさん考案の「貫世界メディア」はこの記事のとほぼ同じだと思うんですが、書いてるうちに細かい部分が本当に合ってるのかと不安になってきたので自前の造語を使うことにしました。いつも知見とヒントを頂いています。ありがとうございます。