ゴールデンレトリバー撫でたい

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関わりの真実性: ガルラジ1stシーズン最終回フェーズ2、チーム双葉・徳光・御在所 #6 インプレッション

 書かんでもいいかな~と思ってたけど後々の自分のために書いた方がいい気がしてきたので書きます。

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最終回の状況

 さて、最終回放送日の3月1日はリアタイ不可でした。前々から東京行ってライブ見る予定を立てていたのです。
 しかし、メリットもありました。会場が豊洲だったんです。夜の東京の埋立地散歩しながらガルラジ聴くの絶対楽しいじゃん、ってことで直前でわざわざ宿を豊洲近くに変えました。

 で、当日です。対岸に豊洲新市場をのぞむ晴海から歩き始めて、さ~てどっち行こうかなと思いながらとりあえず橋を渡って豊洲に向かったところ、ありました、これが。

 首都高の豊洲出入口。そっか~、この高速道路のずっと先で手取川海瑠がこのラジオをやっているのか~と、なんかじんと来てしまいました。ガルラジはそう思わせてくれるところがある。
 そのような流れで高速道路に沿って散歩することにしました。ちなみにここフォロワーの散歩コースだったことが判明して、この後もなんやかんやのてんやわんやがありましたがそれはまた別のお話。

 で、外で聴くガルラジって想像以上に感じ方違ったんですよね。いつも自室か、外出して聴いても喫茶店とか入って聴いてたので、多分まだ「映像カットしたボイスドラマ」っぽさが残ってたんだと思います。
 しかし、外で深夜に散歩しながら聴くのは全然違いました。この空が繋がっている先のどこかで、サービスエリアのブースでマイクに向かってこのラジオを喋っている誰がいて、そこから発信されたラジオを僕が今いるここで受信している。本当にそういう感覚があった。

 ちょっと話が逸れるんですが、今日ガルラジとは別の関心の事柄について調べてたところ、村上春樹が2004年のインタビューでこんなことを書いているのに行き当たりました。当時はようやく家庭にインターネットが普及してきたあたりでスマホSNSは影も形もありません。

 十九世紀から二十世紀の初めにかけて、小説の役割は本物(リアル・シング)を提供することにありました。『戦争と平和』においてトルストイは戦場のシーンをとても克明に描きました。読者がそれを事実として眼前に見ることができるくらいに。でも僕はそういうことをしようとは思わない。僕はそれを事実のようには描かない。僕らが住んでいるのはフェイクの世界です。僕らがテレビで見るのは、フェイクの夕方のニュースです。僕らが闘っているのはフェイクの戦争だ。国を治めているのはフェイクの政府だ。でも僕らはそのようなフェイクの世界に、そのフェイク性との関わり方の中に、リアリティーを見出しているのです。僕の書く小説もそれと原理的に同じです。僕らはフェイクのシーンを歩いて通り抜けています。でも歩いている僕ら自身はまったくフェイクではない。リアルな存在です。それがひとつのコミットメントであるという意味合いにおいて、そのシチュエーションはリアルなものです。それは真実の関わり(リレーションシップ)を有しているものです。僕が書きたいのはこういうことだと思う。

「何かを人に呑み込ませようとするとき、あなたはとびっきり親切にならなくてはならない」『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011』

 やはり世界のムラカミはいいことを言う、やっぱり春樹なんだよな。
 村上春樹はこの一節で、現代におけるリアリティのあり方の話をしている。引用した直前の部分では、19世紀の文学の重厚さに対比させる形で現代的なリアリティの様式として映画のセットの話が、この後の部分では没落しつつあるメディアとしての小説に対比させるビデオゲームの話が配置されています。そして、今の世界が舞台の書き割りや映画のセットやバーチャルリアリティであろうと、それを通過したり向き合ったりしている僕たちはリアルとしか言いようがないし、僕たちとフェイクの世界の中間にあるシチュエーションや関わり(リレーションシップ)は真実そのものである。

 じゃあ、もし現代の世界で、本当にリアリティーや真実がある場所がシチュエーションや関係性なのだとしたら、その関わり合う対象がフィクションのキャラクターだったとしても、そこには真実の何かが宿るに違いない。僕たちは日常的な世界に関わるのと同じ仕方で、二次元のキャラクターに関わることができる。たとえば、ラジオの電波や高速道路によって。

 ジャンクションに突き当たったところで徳光が終わりました。 
 そういうわけで、僕のガルラジ最終回は、このような風景がお伴になりました。

 

最終回インプレッション

チーム徳光

 なんだかんだ言っても最後は手取川だろ、と思って最初に選んだのが徳光。
 一口でまとめればパーフェクトな1期最終回でした。第2回でみるみるがブチ切れたのがいよいよガルラジがちょっと気になる存在から本格的に目が離せない作品になったきっかけでしたが、勢いそのままに完走してくれました。
 まず構成が素晴らしかった。アニメでも漫画でもなくラジオ(ラジオ!)、しかも全6回(6回!)でストーリーの序破急手取川海瑠という1人の女子の変化を描ききったのは本当に感服です。深夜バスの話も、今になってようやく見物に来る大勢の観客も、吉田さんの釣り餌に真正面から噛みつくのも、Kからのメッセージへの返答も、ちょっとだけ自分を省みるようになるのも、すべてが初回を思うとグッとくる。
 また、ガルラジの基本設定の1つである「地方都市」が最も活きていたチームだったと思います。なんと言えばいいか、地図やGoogleアースのような頭上から俯瞰しているような目線ではなく、アイレベルが地上にある、その街で毎日生きている人間の目線で、そこで生活を送っている1人の女子中学生が肌で感じてる空気感が伝わってくるのが徳光の特徴だったと思います。
 しかし、やっぱりこれで終わりじゃないでしょう。この北陸に生きる女子中学生にはまだまだ繙かれる物語が眠っている。第2シーズン非常に期待して待っています。

チーム双葉

  完全に覚醒しましたね。乱れ飛ぶアドリブ、その噛み方は台本か素か、キャラクターと声優の境はほとんど融解したトーク、その笑い声キャラと本人どっちなの、ていうかこの場合の本人って誰だ?
 前回富士川が見せてくれたこのコンテンツの極限が再び現前したな、という感じでした。たまささsisters、かわいいよな…
 最終回ということでストーリー面も良かったです。姉2人がガルラジに応募した理由が明かされ、カナが「お姉ちゃん」呼びして締めるのは文字通り「関係性」そのものである姉妹のラジオとしてこれ以上ないでしょう。めっちゃうわ~ってなっちゃったよ。

 そういえば双葉はこれまでブログではちゃんと文章書いてなかったですね。玉笹彩美非常に好きなんですよ。人類は全員たまささのニートみたいであるべきだ、と僕は思います。

 

チーム御在所

 御在所はどうなるんじゃろねと思ったらなんだかんだ御在所らしいマイペースで明るい最終回でしたね。最後にしましたがガルラジはこれからも続く的な明るい終わり方になって良かったかな。というかこのコンテンツ同時放送の性格上必ず人によって順番が異なることになるのでリスナーによって1人1人セットリストが違ってて、感じ方もたぶん違ってるんですよね。おそらくみんな自分のセトリが一番良かったと思ってると思いますが。
 御在所、最後の最後にようやくまとまりましたね。なんか穂波ちゃんが振り回され役になっててかわいかった。「一生懸命パクりました!」は普通に声出して笑いそうになった。

 御在所も今までちゃんと書いてなかったのでここで書いておこうかな。
 わたし徳若ちゃんの普通っぽさ非常に好きなんですよね。まず初っ端からネットの知り合いの面識のないイケメンに1人で軽率に会いに行って(結果女子小学生)、ガルラジも1シーズンほとんどメシとダイエットの話しかしなかった19歳女子大生。良すぎる。ガルラジの悩める中高生組は徳若ちゃん見て何かを感じ取ってほしい。

 次に穂波ちゃんです。御在所最終回、正直申し上げて内容より穂波明莉ちゃん非常に好きになってしまったんですよね。まず俺のTwitterのログを見てくれ。

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 そういうことです。
 あとこの前のガールズにゃんにゃんデイズで佳村はるかさんめちゃくちゃASMR上手かったじゃないですか、私は2万字怪文書で書いた通りガルラジのキャラクターには声優さんの身体性が反映されているという立場なのでこれも加点要素です。
 で、自分のそういう下地ができてるとこで最終回なんかいつもよりはっちゃけてて噛んでるし、いつもよりどことなく振り回され役になってるし、それでトドメにバスタオルですよ。いやぁ…これは…萌えだなぁ…

 

藤田さん

 色々あるんですけど1つだけ。「最後のあいさつは『またね』にしようかと思います」はかっこよすぎだろ…最後の最後に卑怯だぞ…

 

  はい、そういう感じで1月2日に初めてみるみるはっぴー×2れいでぃおを聴いてからのちょうど2ヶ月間、ガルラジのある生活とても楽しかったです。全6回を知った時は青ざめるほど焦って毎日延々とガルラジの話をし続けてきましたが、ひとまず次の展開もあるみたいですし今後も楽しみにしています。

 #2019年はガルラジ!