ゴールデンレトリバー撫でたい

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aiko『三国駅』と地方郊外とガールズラジオデイズ

livedoor.hatenadiary.com

この記事書くためにライブラリに入っているaikoの曲を流していたところ、あんまり聴かない夢の中のまっすぐな道のこれに目が止まりました。

三国駅

有名な曲なので知ってる方も多いと思いますが、aikoの故郷である大阪にある実在の地名をモチーフにしている曲です。

で、インターネットと脳を直結してる人間特有の行動として当然即検索するわけですよ。「三国駅」で。それでなんとなくWikipedia三国駅の写真見てなんとなく歌詞も読んで。

ただ今回は私イメソン考えながら聴いてた普段より真剣に歌詞読むわけですね。で、ふと思ったことがあったんですよ。これなんでタイトル三国駅なんだ?

なんでこんなこと思ったかっていうと、私今回イメソン選びのために吟味しながら聴いてたので、aikoの歌詞に意外とバリエーションあることに気付いたんですよ。aikoってほんと恋愛の歌ばっかりやな~と思ってたんですが、聴いてるうちにその中でもタイプがあるのが見えてきた。

ちゃんと精査したわけではないのでかなり感覚的な話になりますが、2nd『桜の木の下』3rd『夏服』4th『秋そばにいるよ』5th『暁のラブレター』の4部作と6th『夢の中のまっすぐな道』を境界にして、7th『彼女』8th『秘密』で歌詞世界に変化が見られるようになり、9th『BABY』10th『時のシルエット』でははっきり差異が見分けられます。

初期の詞はいかにもシンガーソングライター的というか私小説的な、歌い手の自我がベタっと貼り付いてる「恋してるアタシ」の曲です。aikoのパブリックイメージもおそらくこっちだと思います。花火とかボーイフレンドとか。

一方で中期から近作までの曲は歌詞に広がりが出てきます。6th『彼女』の収録曲あたりから、自分の内面からちょっと離れた視点から歌詞の主人公や風景やストーリーを組み上げる映画的な曲が出てきます(地味ですが私は時のシルエット収録のクラスメイトという曲がかなり好きです)。

それに対応するようにアレンジの完成度やバリエーションも上向いていきます。最近は新しいアレンジャーを起用していたりします。私は今年aikoを集中的に聴いていて(昔彼女まで聴いたっきりだった)、10th『時のシルエット』にかなり強い衝撃を受けたんですが、今振り返ると大きい理由はこういう部分だった気がします。

 

で、話を元に戻すんですが、『三国駅』は完全に前者の曲です。というかaikoの実体験が元になっている曲です。内容は端的に言うと東京に出て活動しているaikoがふと焦りに駆られ、青春の日々を回想するという歌です。

aiko 三国駅 歌詞

この中で風景描写が出てくるのはわずか一行です。

変わらない街並み あそこのボーリング場

マジでこれだけ。読んでもらうとわかると思いますが、後はひたすら内省的な追憶の想いが続く。というか俺何度も三国駅で検索してるはずなのに全然印象に残ってないのそもそもこの歌が三国駅の風景を全然歌ってないからなんだなということに気付いた。

しかし、上に書いたようにaikoはやろうと思えば叙情的な風景をいくらでも描き込める作家です。別に矛盾じゃないんですが、何か違和感あって解説か考察か何かないかなと思って調べたところ、見つかったのがこの記事です。

bungeishi.cocolog-nifty.com

この記事でおもしろく読んだのが2006年の「J-POPに実在の地名が入っている曲が増えている。その理由はキラキラの都会志向が薄れ、心が休まる「ふるさと」が求められているため」という論評を取り上げ、真っ向から否定しているところ。

そもそも三国駅ってどんなところかというと、こんなんなんですよ(Wikipediaより

f:id:yunastr:20100922142704j:plain

うおおめっちゃ再開発入ったそんじょそこらの地方郊外

Wikipediaを見ると以下のような記述があります

周辺地域は2009年まで区画整理再開発が実施され、駅東口はロータリーが完成し、西口には高層マンションが林立し駅周辺は大きく変貌を遂げた。

そして重要なのが『三国駅』がリリースされたのは2005年だということです。Wikipediaによると2000年に駅の高架化、2003年に駅ビルが完成しているので、リリース当時には既にこの風景がほぼ出来上がっていたと見ていいでしょう。つまり、この曲がリリースされた時、aikoが青春時代を過ごした三国駅前の風景はほぼ消え去っているわけです。

ネットで検索すると旧三国駅の画像が出てきますが、こっちは昭和感溢れるこじんまりとした駅です。aikoが憧憬を捧げているのはこっちの風景でしょう。

れとろ駅舎 三国駅

ここから何が導出できるか。ちょっと長くなりますが上記ブログから引用させて頂きます。

この曲で描かれている風景とは佐藤氏の言うようなホノボノとしたホっとする日本の田園風景とかではない。むしろ、匿名的な、殺伐とした郊外化された典型的な地方都市の風景である。マンションが立ち並び、駅前は再開発され、よく知らないがたぶん、古い商店街はゴーストタウン化し、駅前の近代的な商業ビルにユニクロや大手チェーン系のファミレスなどが入居する、大阪でも東京でも札幌でもない、匿名の空間であろう。

で、またも妄想だがaikoが中高生を過ごした90年代初頭とは未だそこまで地方の開発は進んでいなかったはずだ。「変わらない街並み あそこのボーリング場」にしても、aiko「街」をかなり広いレンジで捉えているようで、wikiによればボーリング場は三国駅近くの新三国アルゴがモデルだとされていたが実際には新大阪にあるイーグルボウルであったという。そういう意味では「変わらない街並み」かも知れぬ。いずれにせよ、典型的な郊外である。つまり、ここでは「september」のように「失われた恋」を描くように「失われた風景」について描いているのだ。ここで日本のロックの発祥、はっぴいえんどを想起せざるを得ない。傑作「風待ろまん」は東京オリンピックにより、再開発される以前の東京の下町の風景を書き留めておく、という松本隆の個人的な都市論であった。あのレコードに刻まれた東京とはすでに失われた風景であったのである。ここでaikoが行ったのは伝統的な日本のロック詞の作法なのである。

つまり、aikoが追憶を捧げているのは、もはや記憶の中だけにある故郷の失われた風景なわけです。もっと言えばイオンに代表されるような地方の均質化に応答するためのノスタルジーの歌だとも言える。

aikoで郊外論は牽強付会すぎやしまいか?と考える人も多いかもしれませんが、私的にはそこまで突飛ではないと思います。というのもaikoって根が土着の人っぽく感じるんですね。作詞もソングライティングも洗練されていて、職人のようにポップスを求道しているにも関わらず、スノッブにならない。徹底してJ-POPであって、マニアックなポップスやシティポップにはならない。長年メジャーの第一線でやっていってるのはそういうのが大きい気がします。

 

で、だいぶ長くなりましたがガルラジの話です。

上に書いたように、aikoは2005年に郊外の均質化によって消えゆく地方の風景を歌っていました。三浦展ファスト風土化する日本―郊外化とその病理』が2004年なので、この手の郊外論のピークはゼロ年代中盤だと言っていいでしょう。イオンなら今も普通に増え続けてますが、風景の変容がはっきり目に見えるようになったのがこの頃だと仮定します。

さて、ガルラジは2019年に始まりました。aiko三国駅からは14年が経っています。で、ガルラジの子たちって10代前半~20代前半で大半が中高生なので、ほぼこの間の年数と対応してるんですよね。このくらいの世代になると、地方にショッピングモールの風景ってもうある程度自然でニュートラルな環境になるんじゃないでしょうか。(僕がよく行くイオンのフードコートでいつも高校生が勉強してるの見て思ったんですが。)そしてガルラジもそういう空気を反映しているような気がする(たまささ姉妹の聖地がラザウォーク甲斐双葉なのとか)。そういう点でもこのコンテンツは2019年的な気がする。

ここからはかなり雑な印象の与太話なんですが、一昔前だと作品の舞台にこういう風景を扱う時って『下妻物語』(2004)に代表されるように、作品に多かれ少なかれ土地に対する批評性や価値判断があった印象が強いんですよ。そもそものゼロ年代の郊外論が、人間疎外的なかなり強い批判のニュアンスがあったのを考えると(ファスト風土化 - Wikipedia)、徳光はむしろそういう意味でガルラジ内では異端だけど、地方郊外を扱った作品としては正統派に近い気がする。

というか、実は本当に特殊なのって地方郊外を舞台にしながら、自然で主張しすぎない背景にできている他4チームなんじゃないかという気がしています。地方郊外を舞台にしながら、あえて地方を舞台にするという選択をした理由付けや必然性から自由になっている気がする。いや基本がNEXCO中日本のSAの所在地に合わせてる町おこしラジオだからじゃろというのはその通りなんですが、それでも地方の空気感を必要以上に悲観的にも必要以上に魅力的に誇張せずにも伝えられているのは何事かのような気がします。

それと今までアニメ系コンテンツの聖地になるのってaiko的文脈で言えば旧三国駅的なノスタルジックで画になるロケーションのある街だったと思うんですよ。沼津とかピーエーが描くタイプの北陸の風景とか。

私まだ質感旅行してないので、ネットに転がってる画像とストリートビューで見ただけの印象なんですが、双葉の甲斐とか富士川の富士の街並みもだいぶ典型的郊外って感じのさっぱりした風景に見えるけど「まあそりゃそうだろ」って感じのが強い。まあそもそもこのコンテンツラジオだから絵面いらないんですけど。

ただ、岡崎(東岡崎駅周辺)は、比較的旧三国駅的なノスタルジーのあるゆったりした空気が流れているような気がします。元々が徳川家のお膝元で街に歴史の厚みがあるからなのかもしれません。ゴーストタウン的に寂れているビルもあったり、駅前に再開発入ったりもしているみたいですが、ストリートビューで見る限り道路の幅も広すぎないし建物の高さや密度も好ましい感じがする。高校生が自転車が動き回れる街のサイズに見える。溜まり場が萬歳ちゃんの親がやってるカフェなのもこういう空気感を反映してる気がする。だいぶ読み取りすぎてる感もしますが。

 

とりあえず思いつくまま書き連ねてみたんですが、まあまとまりませんでしたね。たしか最初は都会と地方の対立軸だけじゃなくて、地方の内部でのここ十数年から数十年の変化も考慮に入れたらなんか見えそうなものがある気がするみたいなことを考えてたんだったような気がします。とりあえず花菜が将来ノスタルジーを捧げる風景がラザウォーク甲斐双葉で姉2人と遊んだ思い出だとしたらそれはとても美しいんじゃないかなと僕なんかは思います。

夢の中のまっすぐな道(SACDハイブリット盤)

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