舞城王太郎の元カノ目線で『ID:INVADED イド:インヴェイデッド』観てる イドPart 3(第11話、ドグマ落ち)

みんなに黙っていたことがある……

俺、舞城王太郎の彼氏ヅラしてたけど実は近年の作品言うほど真面目にチェックしてないんだ……

このまま現彼氏ヅラするのは気が引けるな…じゃあ…元カノかな……

そのような事情からタイトルを改めました。だが今回の内容的にはそれも関係あるので問題はない。

あとこのアニメ3話くらい溜めると長文書く気力なくなることがわかったので1話ごとにします。

とは言ってももう世界観の考察もすることないしストーリーも締めに入ってるので注釈的にトリビアつけ加えることはそんなにない。ということで今回は対照に『ディスコ探偵水曜日』を引っ張り出して来ました。

書いてるうちに長くなったので2つに分けました。

パート1

パート2

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【前回のあらすじ】このようなことになった。 

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【今回のあらすじ】危なかったけど現実に戻れた。あと犯人もわかった。

・富久田が頭に穴空ける理由が明かされる。

→「数称障害」(これで漢字合ってる?)は実在しない?→※情報頂きました。「数唱障害」で実在する病気とのことです。

→「頭に穴空ける」は後述

・本堂町がジョン・ウォーカーの殺人ルールを突き止める

→舞城は見立て殺人のルールに神話や聖書をよく引用する。

→「1週間」については後述

・富久田の数称障害を使ってカエルちゃんの位置に辿り着き排出される。

→カエルちゃんの座標が台風の目、「世界の中心」のように見える。ミステリーにおける被害者の役割の表現のようにも見える気がする。 

・行方不明になってた飛鳥井木記が出てきますが、なんか唐突なSFピッチリスーツ着てるのが完全に正解するカドの終盤思い出させるけど信じてるから……

ドグマ落ちは自我の無限後退として考えておきたい

スルーしようかと思ったけどドグマ落ちも整理しといていいかと思ったので書きます。

まず前回ラストの若鹿による解説。

自らのイドの中で自分を思い出して、自意識が無意識の侵略を始め、それから逃れようとするイドが、嵐を引き起こす。

まじで今の今まで見逃してたんですけど、作品タイトルの「INVADED(侵略)」ってまんまこれですね。バカなのか?

次に第3話の松岡と本堂町の会話。

―松岡

自分自身のイドに入ることは禁じられている。イドは無意識からの産物だ。イドに潜ることはつまり、無意識を意識することだ。

あくまでも理論上だが、イドはその意識の侵略から逃げようとするように、自らを不可視化しながら膨張すると考えられている。嵐が起こるようにな。

そして名探偵はその嵐に飲み込まれ、自分のイドの中で永遠にさまようことになるんだと。その状態をドグマに落ちたと呼ぶらしい。

―本堂町

ドグマ?意味不明ですね。

―松岡

知るかよ。とにかくミヅハノメが位置情報を見失って、パイロットの吸い出しができなくなるんだと。

―本堂町

死ぬんじゃないんですか?

―松岡

コックピットの肉体はどこかで生命活動の維持が難しくなるかもしれない。しかし、肉体が死んでも、精神はミヅハノメの中では生き続けるらしい。

―本堂町

へー。

―松岡

パイロットがイドの中で自分の記憶を失い名探偵になるのも、万が一自分のイドの中に入った時の安全確保のためなんだろうな。

本堂町「ドグマ?意味不明ですね」←かわいい

さて、なんとなくわかってたつもりだったけどいざ台詞起こしてみると説明が簡潔すぎるな。私が想定しているのは主にイマヌエル・カントによって定式化された、自我の無限後退の問題です。

ここからは素人がおおざっぱに噛み砕いて書くので話半分程度で読んでほしいんですが、簡単に言うとこれは「私とは何か」という問題です。

これがなぜ問題になるのかと言うと、この「私とは何か」という文を考えている時、「Aとは何か」という「A」の部分には「私」が代入されている、つまり対象(オブジェクト・客観)化された「私」が代入されているはずです。

しかし、同時にこの「私とは何か」ということを考えている私(サブジェクト・主観)がいるはずです。そうなると「『私とは何か』と考えている私」がいて……といったように無限後退が発生してしまいます。

換言すれば、「私」とは、認識しようとした瞬間に必ず逃げていくという構造を持っているわけです。ギリシア神話オルフェウスがエウリュディケを冥府から連れて帰る話で、帰り道で振り返って妻を認識しようとした瞬間に消え失せちゃうようなもんですね。

カントはこれを解決するために「超越論的な主観」という概念を導入しました。これは雑駁に言うと「Aとは何か」の「A」に代入されない、つまり対象化されない「私」、言い換えれば「意識することができない意識」です。このように複雑な事態になるにも関わらず、事実としてわれわれの思考が普段成り立っているということは、そういうもの(超越論的主観)が存在することを想定せざるをえない。

で、私の拙い理解ですが、フロイトの無意識の理論はこの超越論的主観を拡張したものと解釈することができます。『イド』の元ネタであるエス(イド)の領域もここに含まれます。無意識がなぜ意識の一部分ではなく「無意識」なのかといえば、意識の「対象」にすることができないからです。ウィトゲンシュタインの術語を使えば「語られえず、示される」領域なわけです。

そして、『イド』における個々のイド世界とは、個人の無意識の領域を表現したものである。

また、原理上、意識することができないはずの無意識(超越論的主観)ですが、フロイトは自身の臨床の経験から無意識を表現しているとみなしたものがあります。夢です。11話では酒井戸はイド世界をほぼ完全に夢扱いしていました。

それでは、ここでもう一度松岡さんのドグマ落ちの解説を見てみます。

自分自身のイドに入ることは禁じられている。イドは無意識からの産物だ。イドに潜ることはつまり、無意識を意識することだ

あくまでも理論上だが、イドはその意識の侵略から逃げようとするように、自らを不可視化しながら膨張すると考えられている。嵐が起こるようにな。

そして名探偵はその嵐に飲み込まれ、自分のイドの中で永遠にさまようことになるんだと。その状態をドグマに落ちたと呼ぶらしい。

どう?上に書いた無限後退の問題とだいたい一致しない?

これが進めば、自我は無限後退に陥り、最終的に外界から遮断されたある個人の意識・思想・内面の最も奥にある自我の中心、すなわち「ドグマ」に落ちる。と解釈できる。

 

…ってここまで書いてたんですが、この後ディスコ読み返してたらほぼ『イド』のプロトタイプみたいなショートエピソードがあるの見つけました。長編の挿話にしてはスマートすぎるからこのネタで短編1本くらいは書いてる気がするけどもう忘れてるか読み逃してるかでわからない。

第3部パート6、霊能力者の桜月淡雪が人それぞれが頭の中に持っている死後の世界に入っていけるという話で、自分自身の世界に入ったらどうなるのか?という話。 

いや、僕の《死後世界》へ僕は純粋に入っていけないんですよ。だって僕は《あの世》とか《あの世でもこの世でもないニュートラルな場所》が意識に支配されてるってのが自分の意識の中にありますからね。その中にいながらそれを外から見るような形になるんです。つまり、蛇が自分のしっぽを飲み込んでいくような感じで世界が閉じて消えちゃうんですよ。世界がぐうわあっとゆがんで縮んで僕は外側に放り出されて、その小さい世界を眺めてるじゃないですかするとその状況もまた『あ、これも俺の《死後世界》だ』って気づくでしょ?そしたら今度はその外側だった世界もぐうわあってゆがんで縮んで僕はまたさらに外側に放り出されちゃうんですよ。で、そういうのが繰り返されるうちに、その繰り返し自体が《僕の死後世界観》に含まれて、加速度的に世界からの脱皮が起こって、でっかい穴ができて、そこに落ちそうになるんですよ。

これは要するに、上に書いた自我の無限後退をイメージ的に表現したものと言えます。最終的に待っているのが「落ちる」という事態なのも『イド』のドグマ落ちと共通しています。そういうわけで私はまあこれでいいんじゃないかなという気がしています。

頭に穴を空ける

舞城の頻出モチーフです。完全に忘れてたデビュー作読み返したらこの時点でもう書いてました。正直かなり記憶から抜けてる部分が多いしドリルホールインマイブレインは手元にない(内容も思い出せない)のでざっくりだけ。

元ネタはロボトミー手術しかないですね。前頭葉を傷つけると鬱病が治る理論。イドの富久田も完全にこれでしたね。それもあって「スピリチュアルな治療」みたいな意味が持たされてる気がします。

もう1つは「穴が別の世界に繋がってる通路」みたいな感じにみえる。密室から脱出するための通路みたいな感じ。富久田がイド世界に記憶持ち込めたのも頭に穴が空いてて現実と繋がってるからみたいな即物的なアナロジーかもしれない。

富久田が本堂町の頭トンってやったら穴が現れるの良すぎたね。

 

書いてるうちに長くなりすぎたので分けます。