舞城王太郎のチルドレン目線で『ID:INVADED イド:インヴェイデッド』観てる イドPart 6(第13話)

良かった……本当に……。

しつこいけど2020年の幕開けにこんだけ真剣に舞城に向き合うことになるなんて想像もしてませんでしたよ。

まあ終わってみれば欠点らしい欠点と言えば主要配信サイトでテレビ放送から配信1週間遅れだったのと、放送時間が映像研と5分だけ被ってるくらいでしたね。BSとMX同時放送だったのは地方民には相当ありがたかったので2期も同時でお願いします。

前にも書いたけど人生で一番舞城に熱を上げていた時期に比べて離れていた期間が結構長かったんですが、それでもブログ書いたり過去作読んだりしているうちにあー舞城から受け取ってたものって自分が思ってた以上に大きかったんだなぁと再確認する契機にもなりました。『イド』らしく自分の無意識を意識させられる機会になったかな。あおきえい監督を始め製作・制作スタッフや関係者の皆様素晴らしい作品ありがとうございます。

本編がまあ綺麗にまとまったけどここまでやったので書きますか。この手の記事は解答出してから水星Cとか穴井戸みたいな奴に余計な文脈読みすぎじゃってどつかれて完成するしな。

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FILE: 13 CHANNELEDⅡ

ジョンウォーカーと名探偵、特権的な死とその阻止

最終回らしくアクションシーンこなして、名探偵らしく3人の狡知を結集して陥れる、という決着でした。前回(パート5)書いた解釈そこそこいいとこ突いてなかったですか?

というわけで、ジョンウォーカーのキーワードはやはり「神」でした。読み方は色々ありますが、このエントリは基本舞城王太郎の過去作に沿っているのと、前回からの聖書文脈を続けたいので、ここで補助線を入れます。

そもそも推理小説における「見立て殺人」とは何か? これについて、批評家・笠井潔が提唱した「大量死理論」というのがあります。ざっくり言うと「本格ミステリにおける殺人事件の死者が聖書や神話などに見立てられるのは、二度の世界大戦における尊厳なき大量の死への反発であり、見立てとは『特権的な死』を与えるものだ」というものです*1

ジョンウォーカーもまた、「7という神の数字=天地創造神話の見立て」の最後に、自分を鳴瓢に殺させることで、自らに「特権的な死」を与えようとしていました。

しかし、それも所詮は神に憧れるただの人間の所業にすぎない。

3という聖なる数字(それはジョンウォーカーの誘いに乗らなかった富久田保津が好む数字でもある)を持つイドの名探偵たちは、このような意味づけに従わない。

九十九十九』において、鳴瓢たちと同じく3の数字を刻印された探偵神・九十九十九(彼はきわめて「人間的」な神である)は、作中でこう言う。

 死ぬにも死に方ってもんがある。
 世界大戦中に発生した大量死への反発が《特権的な死を死ぬ》ための装置としての推理小説の隆盛を呼んだという考え方があるらしいが、推理小説における死は本当はまったく特権的なものではない。本物の特権的な死というものは皆に惜しまれて死ぬ死であり病苦に耐えて生命の活力を全て使い果たした挙句にやってくる死であり家族や友人や多くの知らない人たちに看取られる死であり死にたくて死にたい方法で死にたいときに死ぬ死であり死ぬべくして死ぬ死である。
(…)
『創世記』『ヨハネ黙字録』は有名で格式が高くて大きな物語だが、しかしだからその見立てのために自分は殺されても構わないとは誰も思わない。
(…)
本物の特権的な死というのはあくまでも自分の死を死ぬことである。自分の欲しい物を手に入れて死ぬことである。威厳。尊厳。周囲の人間が自分を失うことで悲しんでくれること。もう少し生きていて欲しいと求められること。良い思い出。満足感。自信。良い人生を送ったと言う自負。このように死ねて良かったという死を死ぬ喜び。

この一節はこう結ばれる。

 推理小説の中で本来的な特権的死の求められる可能性は、その物語における死者が他殺に見せかけて自殺を図り、自分の満足のいく死を死ぬことができるかどうかにある。
 しかしそれも《名探偵》が登場してしまえば阻止され失敗する運命だが。

早瀬浦に特権的な死は与えられない。井戸の世界には《名探偵》がいる。

現実の世界、飛鳥井木記、百貴船太郎

飛鳥井木記の暴走については、ここまで辿ってきた運命からすればこれ以外の落としどころないんじゃないかな?と思っていたようなラストになりました。観る前はあれこれ考えてたけど、実際目の当たりにさせられるともう至るべき場所に至ったくらいしか表現しようがない。

毎回のことながら物語のハイライトは本当に心に来ますね。これは理屈じゃない映像作品のならではだと思う。演出や声優の力を直に感じる。個人的には飛鳥井木記役の宮本侑芽さんが本当に良かったです。GJ部リアタイ視聴してたので感慨深い。

さて、今回はおそらく最後の主題に「鳴瓢/百貴」の二項対立があったと思います。この作品は現実とイド世界の二層構造に代表されるような二項・二層的な構造をよく使っていましたが、その最後のピースだったのが百貴さんだと思います。

順を追って見ます。百貴さんが飛鳥井木記を発見したシーンで、飛鳥井木記はかなりほっとした様子で親しげに百貴さんに話しかけています*2。百貴さんも銃を捨てて親身になって応対している。おそらく本編ではほぼ語られることはありませんでしたが、対マン宅で百貴さんが飛鳥井木記を助けるためにかなり手を尽くしていたことが伺えます。

いや、それは語られていなかっただろうか。イドの中のイドという世界において。

上記のシーンは、鳴瓢がイド内イドにおいて飛鳥井木記を助けようとしていた役割を、現実においては百貴さんが担っていたことを意味しています。換言すれば、「イドの中のイド/現実」のパラレルな2つの世界において、鳴瓢と百貴さんがそれぞれの世界において飛鳥井木記を救おうとしていた。

つまり、百貴さんはある意味では、鳴瓢とパラレルな関係のもう一人の主人公だったのではないか。

このあたりは村上春樹作品における、それぞれが現実の世界と虚構や幻想の世界を表象している「僕/鼠」的な2人の主人公の図式にも似ている気がする(ちょっとこじつけかもとは思う)。いずれにしても、この作品の最終回はイドの世界でジョンウォーカーを追い詰める鳴瓢と、現実の世界で血と吐瀉物に塗れながら飛鳥井木記を救おうとする百貴さんという二層構造になっていた。(※飛鳥井木記は現実の世界では鳴瓢=酒井戸とは一度も会ったことがない。後で木記が幻視するビジョンの意味合いにも繋がる。)

ここから完全な妄想なんですが、もしかすると初期構想では百貴さんにあたるキャラはもっと直接的に鳴瓢の対となるもう一人の主人公だったんじゃないか?とか考えています。それがアイディアが練り込まれているうちに蔵という組織になり、完成形では「イドの世界でカエルちゃんを救おうとする鳴瓢/現実世界で飛鳥井木記を助ける百貴」という部分が最後になって出てきた、という。

過去、世界、現実、未来、予知夢

この作品はとにかく「世界」のバリエーションが多いです。自分でもかなりこんがらがってたのでパート2で図を作ったんですが、ちょっと気を抜くと(たぶん意図的に)今見ているのはどの世界なのかわからなくなる。

そして、作品の通底音として常に響いているのは「現実の世界が一番重い」ということです。

これが代表されているのは第10話のラストです。何回も引用してますが(パート2)、鳴瓢は「今、どこにいるの?」という問いかけにこう答える。

本当の俺は現実にいるんだ。君のいない、椋もいない、現実に。

パート2にも書きましたが、これはシチュエーションごと村上春樹ノルウェイの森』からの引用で、舞城王太郎も『煙か土か食い物』において引用しています。

私がなぜこの台詞にしつこく執着しているのかというと、この「自分が生きる世界を選ぶ」というのが歴史のある大きめのモチーフだからです。要するにゼロ年代の亡霊タームであるところのセカイ系です。*3

代表的なところでは村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、舞城王太郎九十九十九』。要点をかいつまむとこの2作品は「主人公が頭の中に自分が作った虚構の世界と現実の世界のどちらかを選ぶ」というルート選択が存在します。村上春樹はこのモチーフを何度も使っている。

また、『イド』におけるこの台詞が引用元の『ノルウェイの森』『煙か土か食い物』と違うのは、この2作はどちらも主人公が「今、どこにいるの?」の問いかけに答えることができないという点です。彼らは電話によって、世界の中で自らの場所を見失っている自分に気付かされる。電話は「どこでもない場所」を告示する。

しかし、鳴瓢はこの問いかけに応答する。そして重く苦しく悲しい現実の世界を選択する。

いつかきっと、本物の場所に。ただ、今じゃないだけなんだ。

だからこそ、『イド』では、安易な解決や救済は選ばれていない。鳴瓢の家族は返ってこない。本堂町は富久田を失う。飛鳥井木記も再び箱の中に戻るしかない。現実の世界にデウス・エクス・マキナはいない。第4話で火災の世界で助け出した被害者が現実では結局間に合わなかったのも象徴的だった。

しかし、こんな世界でもただの慰めではない確実な救済が示されているという読みができるシーンが1ヶ所だけある。

飛鳥井木記がミヅハノメに戻るシーン。ここで水は死の象徴として描かれている。しかし、百貴さんの言葉によって、木記がビジョンを幻視する。

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あおきえい伝家の宝刀ウユニ塩湖

私はこれはただの幻視ではないと思う。

これは予知夢だ。

第9話から第10話冒頭、イド内イドの世界において、木記は自らの夢の能力で数日後の花火を予見していた。

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飛鳥井木記の夢は未来を描く。

このビジョンはいずれ現実に起こることなのだ。

 意志が大事なのだ。この世の根本原理は何をしたいかをはっきりさせ、強く思うことなんだ。人は大勢いる。それぞれの人間に意志がある。強い方の意志が運命を引き寄せる。意志と運命が揃えば出来事は起こる。つまり願いは叶う。意志の弱い者は運命に意志をくじかれるか、運命に意志を変えられてしまう。人の意志が全ての源で、それらが混ざり合う中で世界はあるんだ。

「探偵、お前、未来を変えられるって信じるか?」

――『ディスコ探偵水曜日

飛鳥井木記は意志の力を取り戻す。

イドの中のミヅハノメがでっちあげた過去の世界は、確かに鳴瓢が現実への帰還を拒むほど魅力的だった。しかし、それはやはり過去でしかない。可能世界は「もしあの時…であったならば…であっただろう」という反実仮想によって生み出される。それは既に起こったことを、ただ形式的に裏返しにしただけの世界だ。

未来は現実にしかない。

俺の全知計を持ってして、希望と期待を抱いているんだよ。遠い世界の預かり知らぬ誰かに、望みを託すことが大事だったりするんだ。それを俺は、名探偵として知っている。

世界についての完全情報から事件の解答を出力するミステリーの名探偵とは違い、自らの有限性を自覚しているイドの名探偵鳴瓢は、「『世界の中に自分が知らないことが必ずある』ことを知っている」探偵である。

そして、その有限性は空間的であると同時に時間的でもある。「遠い世界の、自分の預かり知らぬ誰か」がいるのは、いまだ観測されざる世界の果てであると同時に、いまだ予測されざる未来である。第6話で象徴的に描かれたような円環の袋小路は時間的に破られた。時間は線形に流れ始める。来たるべきミヅハノメの密室が開封される日のために――。

なんとか最後まで書き切れた…最後は…やっぱりみんなが引用してるこれがいいか。

愛は祈りだ。僕は祈る。

――『好き好き大好き超愛してる。

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)

 

あと書き残してたこと色々

★東郷さんの何がなんだかわからんくらいデカい胸が最後の最後に本編でも活かされててよかった。

★回が進むにつれて「舞城王太郎の生み出す名探偵に絵と声がついてる」ってことの実感沸いてきてじんわり嬉しくなってきた。一番熱量大きかった頃の自分に言ったら今よりもっと喜んでただろうな。

★気付いたらキャラ人気出ててビビった。最初の頃も本堂町かわいいとか言ってたけど、あくまでもオリジナルアニメらしくストーリー追うのが基本でキャラは二番目以降かと思ってたけど、いつのまにか二次創作ばんばん流れるようになってて驚きました。やっぱり新本格の作家が生み出すキャラはまだまだ余裕で第一線やれますよ。

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こいつも。

★多分いくつかの謎や伏線っぽい何かは消化されないだろうなとは思っていて、白駒二四男が殺されて埋められてるあたりは怪しいな…と思ってたらまあきれいに抜け落ちましたね。無難に局長かと思ってたけどそういえば局長自身は一人も殺してないんだったか……。

★イドから関心を持った方への舞城作品読書ガイドですが、増田にゼロ年代の亡霊兼舞城王太郎のガチオタがいたのでこれが参考になると思います。はっきり言って俺は挙げられてるの半分くらいしかわからない。

キャラクターではなくキャラクタと表記している…まさか今時舞城王太郎ガチ勢であるだけではなく2020年にもなって森博嗣のオタクでもあるのか?いや、まさかさすがにそんなことは……

私はパート1にも書いた通り『煙か土か食い物』が一番ベターかなと思ってるんですが、『イド』の情報量に付き合えた人ならいきなり『ディスコ』行ってもいけるのではないかという気もしてきています。責任は取れない。ただ一番イドに近いと思う。あと紙は絶版みたいですが(一時期令和にもなって下巻のマケプレ相場高騰してて笑った)。

★とは言っても主要長編まとめて読み返して感じたんですが、『イド』は本当に洗練されていると思います。まあそもそも『イド』はあくまで共同制作者の1人なので当たり前っちゃ当たり前なんですが、あおきえい演出やツダケンを始めとする声優陣の力で空気に締まりが出てたと思います。ある意味活動歴的に同世代にあたる新海誠の『君の名は。』にあたるような作品だったかもしれないとか思っています。

★それと児玉有起さんのキャラクター(原案)も大きかったと思います。内容的にはもっと実写的なリアル調でもいけたと思うけど、このデフォルメ調でスタイリッシュな絵柄の方が新鮮でキャッチーだし、イド世界のシュルレアリスティックな世界観にもハマってたと思う。

 

まだ書き残しあった気がするけど東郷さんの胸の話と琴子貼ったらあと何も思いつかなくなったので終わりにします。毎回反応くださった皆様ありがとうございました。

この期に及んで予防線貼るのもなんですが、主要な長編はほとんど読み返したけど近年の作品でさらえてないのだいぶあるので限定的な解釈ではあります。

まー大丈夫っしょ。そんな大外れはしてないって。

それではみなさん、ちゃっ……!!(目に箸を突き立ててオーディンの見立てで自殺する)

*1:すごく雑なので細かく言うと色々違うんですがざっくりだけ

*2:この場面の宮本侑芽さんによる木記の声色や抑揚に、百貴と木記のこの時点までにどういうことがあってどういう関係だったのかのすべてが込められていて本当に良い……

*3:セカイ系でいいと思うんですが、私自身が舞城の熱心な読者だっただけでファウストもそんなに読んでないし、論壇に参加していたわけでもなかったので(あとエロゲもやったことない)、ほんとにセカイ系でいいのかあんまり自信がない。春樹と舞城だから本場のゼロ年代論壇だとセカイ系ど真ん中というより亜流や親戚みたいな位置づけだと思うし。とはいえ春樹と舞城を参照先にしといてこのモチーフ扱うなら触れないのも逆に変だろみたいなとこがあるので迷ったけど使いました